やり方ではなく、考え方と在り方を変える事。より良い運命とは宿命を開花させる事。先人の在り方から多くを学び、自分を高めていく喜びを多くの方にお伝えする「ミスターファシリテーター」として活動を続けていきます。
熱いお父さん?の随喜功徳
みなさんの家庭ではお子さんを胴上げしますか?
私には女の子ばかり3人の子どもがいるのですが、以前二人目の子がマラソン大会で1位になったとき、胴上げをしました。・・・私は今、PTA会長をしていることもあり、周囲の方からはどうも「熱いお父さん」だと思われているようです。子どもを胴上げするほどですから、筋金入りの親バカだと思われても仕方が無いのですが...。
私はいつからか、自分の身の回りに起こった「いいこと」に対して、過剰なまでに喜ぶようになりました。もちろん、喜ばないといけないから、ではありません。今あることを喜ぶ、そしてそれによって徳を積む、という習慣が徐々に身に付いたからだと思います。
この、目の前で起きている人の喜びや幸せを一緒に喜んであげるだけで、功徳=徳につながる、という考え方を随喜功徳(ずいきくどく)と言います。お釈迦様の残した言葉ですが、私にとって最高、かつ究極の教えです。
ただ喜ぶ事がお客様を呼ぶ
普段仕事をするとき、どうしても「うまくやらないといけない」、そのために「お客様を喜ばせなければいけない」という思考になりがちです。ところが冷静に考えると、喜ばせなければいけないという義務感=have toはどこか違うように思います。
例えばお店にお客様が来店してくださるのだとしたら、それ自体が喜びです。「来てくれてありがとう」というそのままの素直な感謝があれば、お互いに気持ちのよい時間が過ごせるのではないでしょうか。その喜びの瞬間がまたお客様を呼ぶのです。
それはなぜでしょうか?自分が喜ぶことによって、相手にとっては「喜ばれると嬉しい」という気持ちが芽生えます。人は「喜んでくれる人」に寄っていくという本能的な習性ががありますから、そのバランスの中でまた行こう、という気持ちになるのです。まさに、今その瞬間を喜ぶこと、そのものに徳がある、ということです。随喜功徳は非常にシンプルですが、どこまでも奥が深い教えです。
誰にでもできる哲学
喜びというものは、慣れやマンネリによっていつのまにかスコトマ(心理的盲点)となるものです。昔は本当に嬉しかった妻の手料理や、子どもを抱きかかえる瞬間など、慣れは喜びを盲点の中に隠します。そしていつしか目の前のことに喜ばなくなり、料理は電子レンジでチンに、子どもとは疎遠になっていくのではないでしょうか。実は無数にある目の前の喜びを、一つ一つ大切に拾っていく必要があります。
これは意識してもすぐにできることではありません。少しずつ、日々目の前のことを見つめながら、一つ一つを喜んでいるうちに、無意識のマインドが変わっていくのだと思います。ですが、専門知識や技術は不要、誰にでもできる哲学です。
ちなみに・・・私が普段、あまりにも過剰に喜ぶからか、今や「熱いお父さんイメージ」は子どもにも根付いてしまったようです。長女が出場する駅伝の前日、こんなことを言われました。
長女「お父さん、頼むで一緒に走らんといてよ」
私 「なんで?」
長女「お父さん、興奮して走ってついてきそう。 それされたら失格になる。」
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